waruitanuki2gouの日記

日々愉快に生きるために。

S-OSとMAGICとPAD。

レトロPCのエミュレータを使ってゲームを作ろうという事ですが全く進んでいません。というのもMZ-2000というコンピュータで私はまともに動くアプリケーションを作ったことがないのです。

遥か30年以上前は日立ソフトウェアエンジニアリング株式会社(後の日立SK、現在は日立製作所に吸収合併)というところで大型汎用機(今はこんな名称通じるのだろうか?)用の基本ソフトの機能の一部を製造する部門にいました。工業高校からぽっと出の私なんかを一端のソフトウェア開発者の端くれまでに育てていただきました。わずか5年という歳月でしたが、ここで過ごした思い出は今でも無茶苦茶輝いています。

日立SK時代に使っていたのはHP/Lと言い、PL-1という言語のアレンジ版でした。これがほんと優れた言語で、ぱーでぷーでぴーなクソ坊ちゃん脳の私でも理解できるというかすごいことをやってのける言語でした大企業の開発力すげー!日立本当に凄いよ!

おっと話がそれてしまいました。ではその時に教えていただいた手法を思い出しながら作業を行います。

まずは設計書を作りましょう。日立SK時代では基本設計書まず書いていました。内容はプロジェクト名、対象OS、動作設計、モジュール設定等これから製造する物(ソフトウェア)の5W1Hをはっきりと漏れないように且つ解りやすい文章で記す資料です。その設計書が承認されたら次は詳細設計書を作ります。

だけど設計書云々の前に試験モデルというか試験イメージというものを作ってみようと思います。対象OSはS-OSを選びました。Oh!MZという雑誌に連載された全機種対応OSとして一部の人達にはかなりの影響を与えていたOSではないのでしょうか。当時のパソコンにおいて全機種対応という事でグラフィックは使えず音はビープ音のみという事でしたが「ELFES」シリーズは素晴らしいシューティングゲームですし「MAMALADE」はフルキャラクタグフィックスで遊べるアドベンチャーゲームです。ゲーム開発ライブラリも有りますし綺羅星の様にある開発ツール、言語、デバッガ等々語ると本当に長くなるのでまたの話で。

こんな素晴らしいシステムを10~20代の私はただ消費するだけにしてしまったのはなんて勿体無いことをしていたと反省します。

その後一部のグラフィック機能を搭載したマシン対応のグラフィックツール「MAGIC」が発表されました。前述の記事で三角錐を表示したプログラムです。

今回は三角錐を平面キャラクタのフトシ君に置き換えてみました。データが三角錐と比べて割と多くなったのですが表示は相変わらず早いです。このデータをOh!MZ掲載のデモプログラムに入れ込んでみたのが以下の動画になります。

www.youtube.com

このサンプルプログラムには私のやりたいことが大体入っていたのでサンプルを解析するところから始めます。開発言語はアセンブラで「REDA」というアセンブラを使用します。

サンプル解析は日立SK時代に使っていたPAD図を使います。

PAD (ソフトウェア設計) - Wikipedia

高卒入社であった私は企画職には憧れを抱いていたもののその道は果てしないという感じは薄々感じていました。なので開発職とは言え主にデバッグ、テスト、補助的な仕事がほぼ全てでした。そこで磨いたのが解析の能力?ですか。先達の残された設計書を読み、仕様書を読みPAD図でプログラムの流れを理解する。そレが出来ないとプロダクトの大切なモジュールを触ることは出来ません。一行の変更をするだけでもすべての設計書に変更と変更履歴を記載し、先輩にレビューしてもらい主任の許可が通ったらプログラムの変更を行いテストを100%行いチェックリスト通りの結果を出したら課長に報告を行い承認されたら検査に出します。そこで厳しい検査を受けて検査課からOKでたら商品であるシステムに組み込まれ出荷ラインに組み込まれます。

もうドキドキものですね、自分が手を加えたモジュールが全国のHITAC VOSシリーズで稼働するのだから・・・多少のものでも。

またまた話がそれましたが私は数々のモジュールのPAD図を書き起こしてそのモジュールがどの様にして動作しているのか解析しまくっていました。リバースエンジニアリングとでも言うのでしょうがそれが後々の自分を大きく変える力となったと思います。やりすぎて先輩から作業の遅れを嗜められたことも多々ありましたが:P

ところでPAD図を生成してくれるソフトがないか?と思って探してみたらありました。「Pad Tools」というものが有りました。

Pad Tools 1.4 (naoblo.net)

それを動作させてみたのが以下の画面です。

簡単に言うと100回ピープ音を鳴らすプログラムのPAD図です。本当に簡単な操作でPAD図が自動生成できます。本来なら手書きが一番なんだけどここは文書の一貫化も含めて文明の利器を頼ります。

これと変数一覧を表計算で管理して互いに照らし合わせれば解析を進められます、多分。行うことは昔も今も変わらないでしょう。

それではサンプルブログラムのPAD図制作を始めます。

Deutsch,eins,zwei,drei!

ドイツ語は基本26+4のアルファベットで表現できるようです。今まで知ろうとしなかった英語以外の言語でした。が、なんといいますかアルファベットというものがドイツ語にもあったのは驚きです。つづりは「Alphabet」発音は「アルハビット」な感じです。(^^;

基本、頭はそう賢くない自分がどうすればドイツ語を習得できるか?

「習うより慣れろ」を基本理念としているので慣れることにします。まずはWindowsの表示言語を「Deutsch(ドイツ語)」にして入力にもドイツ語を追加します。これでも全部ドイツ語になるわけでもないんだけどWindowsの表示やCortanaでの対話が基本ドイツ語になったりするのが・・・かなり面白辛い。

本当は仮想マシンを用意してそちらを完璧にドイツ語仕様にしようかと思ったんだけど仮想マシンに相応しい無料OS環境が用意できなかったんで妥協してそのようにしました。ブラウザの検索で「WEB.DE」を使ったりして雰囲気を味わうのもいいです。

あと翻訳、発音で使うのはやはり「DeepL」です。いずれはここで有料会員として使っていきたいですね。(^^

で、ここまで書いて「DeepL」で翻訳していただいたのが以下の文です。

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Das Deutsche scheint durch ein Grundalphabet von 26+4 dargestellt zu werden. Das ist eine andere Sprache als Englisch, mit der ich mich bisher nicht beschäftigt hatte. Ich war überrascht zu erfahren, dass auch das Deutsche ein Alphabet hat. Die Schreibweise ist "Alphabet" und die Aussprache ist "Alhabit". (^^;

Ich war nicht sehr klug, wie sollte ich also Deutsch lernen?

Ich habe beschlossen, mich daran zu gewöhnen, denn meine Grundphilosophie lautet: "Gewöhnen Sie sich daran, anstatt es zu lernen". Zunächst stelle ich die Windows-Anzeigesprache auf "Deutsch" ein und füge Deutsch zur Eingabe hinzu. Damit ist zwar nicht alles deutsch, aber die Anzeige von Windows und der Dialog in Cortana sind grundsätzlich auf Deutsch, was... ziemlich interessant und schwierig ist.

Eigentlich wollte ich eine virtuelle Maschine vorbereiten und diese komplett auf Deutschland zuschneiden, aber ich konnte keine freie Betriebssystemumgebung vorbereiten, die für eine virtuelle Maschine geeignet wäre, also habe ich einen Kompromiss geschlossen und es so gemacht. Sie können auch "WEB.DE" in der Browsersuche verwenden, um ein Gefühl für die Sprache zu bekommen.

Ich verwende auch "DeepL" für Übersetzung und Aussprache. Ich würde es gerne als zahlendes Mitglied hier verwenden. (^^

Übersetzt mit www.DeepL.com/Translator (kostenlose Version)

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これをさらに日本語に変換したのが以下の文。

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ドイツ語は26+4の基本的なアルファベットで表現されるようです。今まで扱ったことのない、英語とは異なる言語です。ドイツ語にもアルファベットがあることを知り、驚きました。スペルは「alphabet」、発音は「アルハビット」。(^^;

私はあまり頭がよくなかったので、どうやってドイツ語を勉強したらいいのだろう?

習うより慣れろ」が私の基本的な考え方なので、慣れることにしたのです。まず、Windowsの表示言語を「ドイツ語」に設定し、入力にドイツ語を追加しています。これですべてがドイツ語になるわけではありませんが、Windowsの表示やCortanaの対話は基本的にドイツ語で、これは......。というのが面白いし、難しい。

本当は、仮想マシンを用意して完全にドイツに合わせたものにしたかったのですが、仮想マシンに適したフリーのOS環境が用意できなかったので、妥協してこのような形になりました。また、ブラウザ検索で「WEB.DE」を使えば、言語がわかるようになっています。

また、翻訳や発音のために「DeepL」を使っています。こちらで有料会員として利用させていただきたいと思います。(^^

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

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凄いね「DeepL」の翻訳機能。

自分でもドイツ語ではてなブログがかけるようになれば目標達成かな。ま、それはさておき最近覚えたのは以下の文。

Ich mag ANIME.「私はアニメが好きです」

Ich (イッヒ) 私

mag (マァグ) 好き

あとは好きなものを言えばいいだけです。そんな感じで私は頭の中で好きなものを連想しては「Ich mag」を心で唱えまくりました。そうしたらもうこの単語は自分の一部になります。

こんな感じで気長にドイツ語を・・・習得できるわけ無いだろうがー!時間がないんよ儂には!しかも一回3000円というドイツ語の個人レッスンを受けることになっちまったし!そのことは一つ前の記事に書いたばかり。小学生はさっさと卒業して思春期の厨二病ばりばりの文章がかけるように成らないと!本場ドイツアニメオタクさんと会話できない。

基本は英語と同じ感じで文章を構築していくんでなんとなく理解できる。英語を習わしてくれた親に感謝します、ありがとう・・・。

ここで一つ・・・「ありがとう」は「Danke」、親は「Elternteil」となると単純に(私なりに)書くと・・・。

Danke Elternteil.

としかならない。ではこれをDeepL(でぃーぷる)と「親に感謝する」とでました。お?意外と直訳でできるんだ。

ふぅ、疲れたで。んじゃこの記事はここまでっちゅうことで。読んでくれた皆様に一言いいましょう・・・

Dankeschön und Auf Wiedersehen.

実行宣言!

やると言ったからは行う。それを有言実行という。やると言った事をやらないのは人それを「口だけ太郎」という。それは男として、今の時代を生きる一人の人間として、後が無いクソ中年としてもう終わっている。

一体何が言いたいかというと儂はやりますよ!ではなにをやるかというと一応箇条書きにして宣言をするところから・・・。

 

--- 悪い狸二号の実行宣言 ---

①EMZ-2000上でシューティングゲームを作る

②NゲージをPC-1600Kで制御する

③投資で億り人になる

④ドイツ語を習得してドイツに行く

⑤免許を再取得してBR-Zでジムカーナデビュー

⑥健康に過ごして80才まで生きる

 

今のところは以上です。では、これらを実行するためにどうするかを計画しましょう。

・EMZ-2000上でシューティングゲームを作る

上記スクリーンショットはMZ-2000のエミュレータ上でS-OS+MAGICで描画してある三角錐のモデルです。これを見たときMZでゲームが作りたいという思いが湧いてきました。開発言語はFuzzyBASICかアセンブラでしょうか。かの名作ジェルダとまでいいませんが簡単なものを作ってみましょう。

制作過程は以下の通り

①設計書作成   7日(1時間/1日)

②PAD図作成  30日(1時間/1日)

③コーディング  15日(1時間/1日)

④テスト     3日(1時間/1日)

大体こんな感じでいっときます。おそらくこの通りにはいかないけどそれは都度このブログに書き込むということで。

 

・NゲージをPC-1600Kで制御する

途方もないことだけどレトロなポータブルコンピュータPC-1600Kを触っていると出てきたアイデア。このポタコンで何か出来ないかなと思い立った事がこれ。小さな巨人と思えるマシン。放っておくのは持ったいない。

制作過程は以下の通り

①設計書作成  ?日

②回路制作   ?日

③組み立て   ?日

いままでこんな事やったことがないんで全くの未知数です。・・・よくわかんない。

 

・投資で億り人になる

これも正直いってアホかというような話・・・。一生かけてもなれるかどうかわからない夢物語。だけどここで意思表明だけはしておく。

今のところ手数は

松井証券  (現物投資)

②豊商事   (先物投資)

で行っています。原資は30万円から始めました。今は通算収支は今のところマイナス約1800万円位です。一体どうなっているんだ?

 

・ドイツ語を習得してドイツに行く

これも行き当たりばったりの思いつきで行動した結果こうなりました。まぁ、彼の国に興味はありましたがまさが言語を習うことになるとは思わなかった。広島留学生会館という場所に行き、あれよあれよとドイツ語講師に推されまくったあげく

ドイツの小学生が使う読み書きテキストを手に入れることになりました。こうなったらもうあとに引けない^^;これも果てしない道ですがドイツの人(おもに女性)と会話することを夢見て執念で習得します。

週一のレッスン、やるぜー!

 

・免許を再取得してBR-Zでジムカーナデビュー

過去2回、運転免許証を酒の力で取り消された私です。もう、運転なんてすることはないだろうと思って自転車ライフを満喫していましたがどうやら糖尿病で死に損なったので再びBR-Zを運転してみたい気になったのでした。で、どうせなら近くにある中国地方屈指のコースをもつスポーツランドタマダにてジムカーナデビューをしようかと、、、しようかと!

しかして2022年11月まで欠格期間なのでこの計画は来年に繰り越します。

 

・健康に過ごして80才まで生きる

はい、このブログ開始の時に書きましたが重度の糖尿病にて52才で終焉するはずだった我が人生。それを覆して生き残ったからには健康に過ごしましょうということで体重58~60kgを維持しつつ血糖値を正常の80~100の間に保ちつつ今後の余生を生き抜きます。80才というのはあくまで目安です。

毎朝の血糖値検査、体重、血圧測定と寝る前までのインスリン注射は必須。入浴ごの右親指の手当も忘れずに。

月1の内科受診、3ヶ月に一度の眼科受診など医療機関の助けもかりて予防しますよ。

 

以上。

 

人生再始動!

待ちに待った退院日の朝、いつもより早めに・・・とか思ったがいつも通り午前5時位に目が冷めた。しかし退院準備はほぼ前日に済ましているので良し!いそいそと着替えて最後の検温、血圧測定、空腹時の血糖値計測をする。

入院時380近くあった血糖値は退院時には最低135まで落ちた。あ、もちろんインスリン注射等、薬の力を借りてね。さらに体重も65.7kgから夢の60kg切る位になった・・・さすが病院食!無理なく痩せる、栄養バッチリなんで体調不良もない!鏡の前に立った自分もなぜか少し凛々しく見え・・・るか?(*^^*)

さて、移動しようかというときに今まで関わってくれた先生、当直の看護士さんたちが一斉にやってきて挨拶をしてくれた。おいおい、、、ちょっと感動してしまいましたが・・・。皆さん、お世話に・・・本当にお世話になりました、、、ありがとう。

もう二度とここには来ないよ・・・なんてね、、、ま、冗談じゃなくそうしないと。しばらくは。

しかして、それでスムースに退院なんて出来るわけないよな。まずは払うもん払わんとのう。受けたサービスには対価が必要なのじゃよ。それで退院前に色々聞いていたが最近この国の制度として高額な医療費を払うような場合、所得に応じて減額してくれるというワケワカラン制度があるらしいのだ。それを利用するとほんの雀の涙程度の金額でも助かるってぇ話。もちろん利用しないわけはないので利用しての支払いをする。ために役所と病院を往復してきたさ・・・。

支払いを済ませてさぁ帰ろう、ヘイ・タクシー!なんてすぐすぐ居るわけでもない。まじか?これでも地域一番の総合病院ですか?まぁしかたなく電話で呼ぶと「20分位かかります」・・・と。「結構です」と即答して歩いて近くのバス停に・・・。

親指無くした足で娑婆の地面を踏みしめましたさ。バス停でバスに乗り一路家路に付きましたとさ。

さて、ここから先は実はあまり面白くないのでもう覚えていません。

ただ関係者各位に退院した旨を連絡しまくってとりあえず明日から職場に顔を出す事にして今日は終わりにしようと思った気がするけど?色々あってクソみたいに散らかった家に入り、荷物を整理してとりあえず昼からの腹ごしらえをどうするか、夜はどうするか家をどうするか考えていた気がするが、まずはゆっくりと休もう。

なんてゴミ屋敷で、出来るかぁ!となって一心不乱に生活スペースだけは確保するための整理を始めた。とりあえず現状把握、そして解決策を模索、出来ることとやらないといけないことを整理して出来ることから始める。無駄、斑、無理なくといえば格好良すぎるが、そのように決めそのように行おう。

一度は本気で死のうと思っていたが、生きると決めたので生きてみる。

人生再始動なのです!

日々是入院。

4月15日の長い一日が終わりました。これからしばらく入院の日々が始まります。それはもう色々とありましたが余り書くこともないので省こうと思います。具体的にすることは以下の通り。

・規則正しく三食食事、総合カロリーは1500Kcalまで

・間食は無し、飲料は水、お茶、プラックコーヒーのみ

・起床午前6時、就寝午後9時

上記を踏まえて日々食事前の血糖値を記録、朝と夕方には血圧測定、体温測定をします。昼前に一度右足の患部の洗浄&ガーゼと包帯の交換。さてさて何日入院なのかは患部の経過と血糖値の経過次第でしょうか。その間に食事療法の為の栄養管理学の勉強をした時は楽しかったよ。まさかコンビニ食で行う食事療法というパンフレットがあるとはね。確かに必要な栄養表示はしっかりしているから計算はし易い。あとは栄養素のバランス、単調な食事にならないように色々なものを試してみようと思った。

あと眼科検診は鬱な気分になったねー。失明どうのこうのHbA1cをいきなり変動させても目は確実にダメージ受けるだの・・・どうしろというのだ?まぁ三ヶ月に一度は眼科の受診をしなさいと言われたんでそれを実行するだけかな・・・と。

車椅子は二日目にして返上した。意外に患部の右足は痛くないし歩くほうが楽だ。時間があれば院内を歩きまわるようにした。スマホで歩数を記録してみるが意外に伸びない。やはり景色がかわらないんで意外と飽きる、がベットでゴロゴロするだけじゃ筋力、体力も落ちるし退院するときにヘロヘロになった状態はいやだ。食事後は点滴があるんでその時は椅子かベットで大人しくしないといけない。その時はスマホで色々と糖尿病とその後の事に関していろいろ調べたりもした。調べれば調べるほど陰鬱になってしまうがもう後ろ向きにはならないと決めたんでとにかく思考は停止させない。

最悪の事も考えてそれを回避するための事を色々調べる・・・と・・・あっという間にパケ死にというか契約上限の7G になってしまったんで途方に暮れた。参った参った、、、しょうがないので初めて病院の売店で追加データ通信用のPOSAカードを色々買ったよ。

考えをノートに纏めながら色々やっていたらあっという間に退院へ。自分は皮膚科、内分泌糖尿病科、眼科、歯科など色々かかってたのであれこれの先生からまちまちの退院日を言われた。ある時は明日、ある時は明後日、ある時は四日後・・・え?一体本当の退院日は何時?とおもっていたら入院から10日たった4月25日に決まりましたとさ。

最低三週間と考えていた入院が10日で終わる!ほほう・・・ありがたやありがたや。

親指一本。

二階の手術室に入り、ベッドに移動。そそくさとベッドに横たわってみると速やかに看護士の人がワラワラと・・・ではなくするすると準備を進めていきます。

一段落付いた感じになると先生が入室。そんじゃ始めますかーと言う手馴れた感じで始まった手術。まず局所麻酔で足首から先の感覚がなくなっていく。麻酔が効いていく感じを確かめて始まりますよ。

バチバチと音がするところと肉が焦げる匂いがするところを鑑みるにレーザーメスで切って行っているのか?あ~・・・無くなっているのか大事な親指~(*´-`)と思いつつ天井を見ていた。しばらくすると足先を揉まれているような感じがして先生が「綺麗な血が出ているね」とかなんか言って居たような・・・。と思ったら今度はギコギコとノコギリでナニか(と言っても多分足の骨)を切っている音が聞こえる。

アヘ・・・。

どうなっているんだ儂の足!といっているうちに終わったらしく看護士さんがやってきて「終わりました。」と一言。予定が30分とのことなので時計を見ると大体あっていた。流石に手慣れているな、予定通りかよ。しかし手術を始める前は散々足首からとか太ももからとか一本丸々なくなるとか言われていたが終わってみれば親指一本でした。

よくやった、儂の足!具合悪いなりに体にいいものばかり食べて居た(つもり)のでまだまだ元気だったようだ。

いそいそとベットから車椅子に移動して手術室から出るとそのままICUへ。4人部屋のベットに横たわると今日はそのまま睡眠という事になった。食事は無くて点滴で対応だそうだ。意外と腹は減って居ないのは点滴の効果か?まぁ薄暗い部屋の雰囲気も相まってか足の麻酔が切れる前に寝てしまおう。看護士さんからは痛みが強かったらナースコールで呼んでくださいと言われたが術後すぐはまだ足の感触がない。麻酔が切れてからどうなるかが見ものだが相当痛いだろうと思っていた。

いつの間にか眠りについて目が覚めた時はまだ薄暗いベットの上だった。足の感触が若干の鈍い痛みと共に戻っていた。その時改めて親指がない事も認識してしまった。ただ想像して居た痛みとは違い、我慢出来ないほどの酷いものではない。それよりお腹が張っている方が気になった。どうやら大小もよおした様だ。

ナースコールを押すと看護士さんがやってきて予想通り「痛みが酷いですか?」な事を聞かれたがそれに対して「すみません、ちょっとトイレに行きたいのですが」なんて返すと予想外に「尿瓶使います?」なんて言われたので返事に詰まった。

いや、ちょっと大きい方もしたいのですというと簡易トイレがやってきたのでとりあえず起きてそれに移動。あっさり移動したので看護士さんも何も言わず去っていった。そこからしばらくトイレとの戦いが続く、、、わけなくあっさりと降りました。スッキリ~!ナースコールで看護士さんを呼ぶと「よく出ましたね~。」なんて言われたよ。

それでまたベットに横たわり再び眠りについたのだった。

糖尿病足病変。

4月15日14時過ぎに広島安佐市民病院に搬送。救急外来で受付られベッドに乗せられると次々に質問攻め&注射の嵐。救急車で足の壊疽等大まかな説明をしてあるので関係ありそうな治療をする科の看護師さんやら先生やらワラワラと現れた。患部の現状と血液検査の結果ですぐさま手術を行うこととなった。どうやら相当やばい状態だった様だ。

足の壊疽の状態を見るために血液造影剤を入れてCTを取る事になり移動。血液造影剤を入れるための注射をあずって3回注射針を入れられた挙句、漏れたようだ。割と痛かったし後で漏れたことをなんか言われた気がするが忘れた。

CTの結果待ちの時間がやたら長かった・・・。その間も点滴を流し込まれたり、追加の採血をしたりと両手が慌しかった。あと、医師から手術の説明を受けたのが一番煩わしかったよ。淡々と「脚をどこまで切る」事と「切った後、どうなるか」事を伝えられた。

その結果大体分かったのは糖尿病性足病変で足の壊疽を起こした場合は切った後の方が大変らしい。切断箇所によるが一度切断治療を行ったところで術後の状態を良好に保たないと再手術、再々手術を行いどんどん足が無くなっていくらしい。それと共に生存率も減っていくとか・・・。これは治療をして生きる道を選んだのは間違えたか?と思ったよ。

流石に少し神様仏様に祈りたくなった、「頼むから親指一本で済ましてくれ」と。

17時過ぎ、どうやらCTの結果が出たようだ。右足の写真を2枚みながら説明を受ける。先生の話は相変わらず淡々とした感じで進む。「なんとか重要な太い血管は生きている様だ」と「親指は第三関節まで全部切除」と言う事だけ理解した。ただ術を進めていく上でどうなるかは判らないとまで。要するに手術を進めていって患部の状態が悪ければまだ切り進めていくと言うこと。それで納得いくなら同意書にサインしてすぐさま手術だと。そりゃもう納得するしかないし時間が押しているならすぐさま手術してもらった方がいい。

一緒に来てくれた義姉とも話をして同意書にサインをもらったら・・・と思ったらどうやらその前に何か問題があったようだ。「何事?」と思ったらコロナの検査をしないといけないと言う事でしばらく別室で検査を行う事になりそこでしばし時間を潰す羽目になった。何んてこった!

18時過ぎ、看護師からのお呼びがかかり車椅子に乗り換えいよいよ手術室へ。なんだか色々言われて居た気がするがこちとらもう覚悟は決めている。さっさと始めてさっさと終わらせて下さいませ。